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ある程度は絞られるけれど、例えば同じ『総務』って言っても、会社によって、実際の職務内容は変わる。
同じ会社でも、上司が変われば変わるかもしれない。
会社の考えや規模や、諸々が変化していけば、変わっていくかもしれない。
どうしても、どうしても、これでなくては、と、あまりに狭い範囲に絞る必要性ってある?
分からないな。
私が重要視しているのはそこではない。
のだと思う。
多少、職務内容がずれていても、そのことよりも、例えばトップの考え方や、上司、一緒に働く人の考え方が、あまりにもずれていないこと、の方が重要だ。
そんなものこそ、上司が変われば変わっていくのかもしれないが、あまりにも私の価値観で許せない考えを持っている人を野放しにし続ける会社は嫌だ。
そうでなければ、多少、やりたいことと一時ずれたとしても、共感できる、同じビジョンを持てる、ということがあれば、頑張れるのだと思う。
こういう考えは、可笑しいのかな。
今、相当自信がないのもあって、自分の将来像なんて浮かんでこない。
何ができるのか、見つからなくて、苦しいのだから、夢なんか語れないし、浮かんでこない。
でも、本当は、いつか、いつの日か、つながってくれればいいのに、と思っている。
何のストーリー性のない私の人生が、いつか、どこかにつながっていくことを、願っている。
趣味で習っていたピアノが、職業に結びつくことはなくても、大学時代に心理学の勉強の一環で役に立ったように。
何の強い動機もなく始めたサークルが、沢山の人との出会いをもたらしたように。
今、必死で勉強している社会保険労務士の勉強が、大学で勉強した心理学が、趣味で習ったピアノが、苦しんだ前職が、
いつかどこかで出会うことを。
一つ一つ、並べてみて、共通しているわけではなくても。
全てが強い動機と明確なビジョンで始めたわけではなくても。
一つ一つが、はっきり言って中途半端でも。
その時その時、一生懸命だった、ということは、確かだから。
そこで精一杯頑張っていたことは、確かだから。
いつか、つながれ。つながれ。
ま、就活が全然うまくいかず、そう思っていることすら忘れてしまう毎日なんだけれど。
というか、完全に、昨日のショックから立ち直れずにいた。
昨日の私。
誰が悪いんじゃない、自分が悪くて。自責の念に駆られて。
どうしていいのか分からず家の中をうろつき、叫んで。
目が腫れるほど泣いて、逃避したくてお笑いを見て、ばか笑いをし。
ピアノを八つ当たりの如く叩き鳴らして、うなり声を上げ。
夢でうなされ。目が覚めれば枕をぬらし。
久々、激しかった。
そんなこんなで、今朝もまだひきずっていて。
お腹が痛い。気分が悪い。
午前中、どうしようもなくお腹が痛くて。
数日前から、今日はジャンクなお昼!!夕方にはパフェを食べる!!と決めていたのだが。
それがすごく楽しみだったのだが。
さすがの私も、お昼にジャンクなフレンチフライとかは無理と判断。
午後はだいぶ治まったけれど、明らかに通常ではない。
でも、どうしてもどうしても、食べたい。パフェを断念しきれず、中途半端にコンビ二でアイスを購入。
こういう瞬間、私ってM?って思う。
我慢しきれずアイスを買っている時点で、違う気もするがね。
家に帰って食べようと思うが、やはり体調が思わしくないので、がつがついく感じがない。
食べたくない。
でも、食べたい。
てか、溶ける、から食べる。
一口目で後悔した。やはりキツイ。
貧乏根性の私は、途中で止めるとか、捨てるとか、そんな選択肢はない。
無理やり食べる。
やっぱりM?
哀しくても、悔しくても。戸惑っても。
時は確実に流れていく。
一食くらいは抜くことが(たま~に)あっても、頭のどこかで、食べなきゃ、って思う自分がいて。
涙を流したままでも、まばたきをしないままでも、味がしなくっても。
昨日炊いた冷め切った白飯だけでも。
口にご飯を運ぶ自分がいる。
私は生きていくんだな、そうやって。
中学生くらいから、もっともっと、『くだらない』恋、をしておけば、良かった。
オトナ達は、くだらないって言うけれど。
そういう経験って、とても貴重でキラキラしていて、時が過ぎたら、決して、手に入らない。
ほんの少しのことにドキドキしたり、悩んだり。
後になれば、外野からみたら、くだらないことって、本当は、大切なことだと思う。
その時その時、真剣なんだもの。
行き過ぎて取り返しのつかない傷を負うのはダメだけど、そういうのじゃなければ、基本的なことを大切にしていたら、大抵のことは、いつか、乗り越えられることなのかもしれない。
若者よ。
恋せよ。
『くだらない』ことに、夢中になれ。
私は、全く経験しなかったなあ。もったいない。
今のわたしは、メールすら面倒だ…‥。
私は変化が嫌いだ。
戸惑うし、なぜか、哀しい。
ある日、気付いたら、誰かが結婚していたり、離婚していたり。
結婚は、めでたいからいいよね。
お笑い芸人が、解散していたり、新しいコンビが誕生していたり。
名前が変わっていたり。
しばらく後で、気付くぐらいだから、そんなには思い入れがないのかもしれない。
けれど、変化は、嫌いだ。
後悔や迷いが1%もない決断なんて、あるのだろうか。
お笑いの人なんて、特に、悩んでいる間だって、誰かを笑わせるために必死なのでしょう?
悩む間も、いつ発表するか時期を決める間も、表面上の変わらない日常は続いていく。
決断が、正しかったのかどうかなんて、きっと分からない。
何を選んでも、きっと、何かを捨てている。
どんな答えを出したって、100%、満足することなんてきっとないし、周囲の、一人残らずの人に100%、支持されるはずもない。
それでも、日々、決断していく、皆様よ。
どうか、その決断が、あなたを、誰かを少し、傷つけたとしても、どうか、笑っていられますように。
前を向いて歩いていられますように。
願わずには、いられない。
友達に、以前言われた。
流されていくほうが、辛くても、よっぽど楽なんだよ。今の状況を変えるには、どんな決断だって、とてつもないエネルギーを必要とするんだよ。
って。
そうかもしれない。
辛くて辛くて仕方なくても。うなされるくらい、仕事がきつくても。
退社を心に決めてからの方が、辛かった。
実際に、退社が決まるまで、本当にきつかった。
友よ、あなたは正しい!!と何度叫んだことか。
大きな決断も、日々無意識にしている些細な決断も、何かを捨てて、何かを選んでいる。
それが正しいかどうかなんて、分からないし、後悔のない私なんて、考えられない。
変化が怖いんだ、私は。
いつか、笑えるといいのだけれど。
また一社面接に行ってきた。
採用していただけたら、同じ仕事をする現場の方と、その上司にあたる役員の方。
堅苦しい『面接』とは違っていて、驚いた。
求職者たる私を、見極める、というか、何だろう、見定めるというか、ひどい言い方すれば、上から下までじろじろ見る、という感じがしなかった。
雑談、という感じ。
ま、その中でコミュニケーション能力や志望動機を色々な角度から測っているはずだけれど。
一方的に、私を眺め回す感じではなく、会社のこと、職務内容、雰囲気、など色々と話をしてくれた。
現場の方は、『派手な職務ではないけれど、とても重要な仕事だと思って日々、頑張っている』ということを仰っていた。
いいな、と思う。
自分の仕事に誇りを持っていることは、本当に素晴らしい。
自分の仕事に、『きちんと』誇りを持っている人は、他人のことも尊重できるのだと思う。
『大変なこともあるけれど、本当に仕事が楽しい』ということも伝わってきた。
堅いと言われる私とは、違う雰囲気だったし、次回面接に進めるかどうかは、定かではないが、とても大切なことを思い出させてもらった気がする。