―Give me the reason,please...
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大切な大切な友達が、出産した。
嬉しくて嬉しくて、お祝いがしたい、と思った。
安定期に入った頃、連絡をもらっていたので、もうそろそろかな、と思っていたし、ずっと、お祝いに何を贈ろうか、考えていた。
少し前に、別の出産した友達の時は、仲間3人で『あーでもない、こーでもない』って話し合って、結局、本人に調査をして、決めた。
『気を遣わないで』とも言ってくれるけれど、『お祝いしたい』という気持ちをちゃんと受取ってくれる人だし、言ってくれたほうが嬉しい時に、さくっと本音を言ってくれる人だから、本人調査は良かったと思う。
自宅に招いてくれた時、持って行ったのだけれど、出産後しばらく経って、本人も落ち着いたから、と招待してくれたので、調査も「メールする元気もない!」という負担にならずに多分、済んだと思うし、ご主人も共通の知り合いなので、迷惑になりにくかったと思う。
今回、出産した友達は、『あーでもない、こーでもない』って話し合う仲間が私の周囲にいない。
遠く離れた友達で、私は一人で『出産祝』をしないといけないのだ!!(大袈裟)
最初は、参考程度に♪のノリでネットで色々調べていたのだけれど、段々、分からなくなってきた。
贈るものについて
・現金(商品券)が一番!(結局一番何にでもできる、内祝いにも使える)
・現金(商品券)はあまり(友人の場合は味気ないかも、物に比べてより内祝いの必要性が高まる)
・〇〇がいい(理由は〇〇)そしてその反対意見(理由は〇〇)
といった具合で、迷いに迷った。
結局、何が嬉しいかは人による(当然といえば当然)、本人に調査してみたら、という意見も結構あったので、恐る恐るメールで尋ねてみた。
ちゃんと答えてくれて嬉しかったんだけど。
・お祝いを贈ること自体、負担になる(気持ちの負担、内祝いをしないといけない)
・お祝いを何がいいか尋ねること自体、負担になる(気持ちの負担、ほしいものを考えてメールする元気や暇がない、それどころじゃないこともある)
という意見。見つけちゃいました。
内祝いを知らなかった訳じゃないけれど、友達同士で、物だったら、そんな気を遣わせなくて済むと漠然と思っていた。内祝いをしない習慣の人、地域?もあるみたいだし、贈るタイミングや額、間柄によっても対応が違ってくるのだろうけど、もし、内祝いを、と負担になったらどうしよう?て不安になってしまった。
(内祝いもさくっと全員統一で、旦那さんが手配してくれて、とかなら、金銭的な負担だけで済むらしいけれど)
内祝いいらないからね、って言うのもなんだし(内祝いを断ること自体が失礼という考えがある、内祝いをそもそもするつもりがなかった場合、逆に催促になり兼ねない、断っても贈ってくる人が多い、など)。
多分ね、友達は、『祝いたい』という気持ちを分かってくれる人だ。もし、私が何も贈らなくても、『おめでとう』という気持ちだけをちゃんと受取ってくれる人だ。もし、ピントがズレた物を贈ってしまっても、気持ちを汲んでくれると思う。
だから、何も贈らなくても良かったと思うし、調査しないで贈っても良かったと思う。
でも、どうしても贈りたい。私にとって、本当に本当に大切な人だから。精神的な恩人だから。大好きな人だから。
ありとあらゆるものを贈りたいくらい。で、喜んでほしい。
でも、だからこそ、気を遣えって話で。
良かれと思ってしたことが、逆に迷惑になる、ということはきっと間々ある。
それでも、私が相当失礼なことをしない限り、この友達は、良いほうに解釈をしてくれて、迷惑でも、迷惑はさておいて気持ちを汲んでくれる人だ、と信じられる人だ。
だから、こんなにまどろっこしくグルグル考えていないで、決めろって話なんだが。
何だか、お祝いを押し付けている気分になってきた。
スタートは、純粋だ。それは自信がある。おめでとう!という湧き上がってくる思いは、純粋だ。でも、『おめでとう!』→『気持ちを伝えたい』→『喜んでもらいたい』→『喜ばせたい』→『喜んでくれるよねっっ?!』と変化してしまっている気がしてきた。
『喜んでくれること』を強制している気分。
先日、別の友達の誕生日をお祝いしたときもそう、本当に色々悩んで、決めた。
それは、悪いことではないかもしれないけれど、必死になりすぎる自分が不思議。
友達は、『物品』は多分、求めていない。『おめでとう』という言葉できっと充分だ。
しかも、それすら忘れちゃっても、きっと、怒りはしない。分かっている。分かっているんだけど…。
当日にメールしないと私が気が済まない。
やっぱり相手に気を遣わせることは事実で。負担になっているかもしれない。
お返しを強制しているようだ。
結婚も出産もしたことがないし、予定がないので、分からないけれど、
誕生日は毎年来る訳で。お祝いは、正直求めてる…わな。
メールは、欲しいかも。勿論当日じゃなくても、いいんだけど、『そういやお誕生日だったね~』くらいのテンションでも充分嬉しい。何だろうな、時期が近くなくても、会った時に、『誕生日だったね』的なことだけで嬉しい。
どんだけ飢えているんだ、私。
多分、私からメールが行く友達は、私の誕生日メールが仕事のようになっているかも。ごめんね。
休み中の誕生日でなかなか祝ってもらえなかった過去が私をこんなにも、この歳になってもこだわらせるんだと思う。幼稚園の頃から、前の月か、次の月とセットにされてしまうし、小学生の頃も、休み中で皆いなくて誕生会とかあんまりできなくて、悲しかった。そのせいじゃないかと分析。
話がそれてしまったし、考えたり、分析していくと、どんどん、いやらしくなっていく気がするので、
とにかく、最初の『おめでとう!』という素直な気持ちを、何かに込めて贈ろうかな。
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