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3/11(金)大震災。私自身は直接的な被害がなかった。
当日は、家に帰れず、電話も通じず、状況が読めず、同僚の家にお邪魔をした。
家族と連絡が取れないことが、こんなにも不安なのだと思い知った。
水の有難さを少し、思い知った。
当初は、状況が分からず、地震体験車のような揺れに驚きつつも、どこか楽観視していたけれど、日を追う毎に被害の大きさを知った。
波及する様々な問題も。
今も尚、命を賭している人がいる。
その日、不謹慎な話、私は私なりに死を思った。
ピアノが弾きたいと思った。こんな時に。
夜、怖くて眠れなくて、家族の声が聴きたくて、不安で不安で、
それでも、ピアノを弾きたいと思った。
今日、このまま死ぬならば、ピアノを弾いてから死にたいと思った。
今思えば、被害がなかったからこそ、思った死なのかもしれない。
実際に死に直面していれば、そんなこと思えなかったのかも、ね。
未だ家族の顔を見ていないけれど、でも、
忘れてはいけない問題がたくさんあるけれど、でも、
軽々しく言えない被害を受けた人がいるけれど、でも、
せっかく永らえた命を、今、懸けている人がいる、でも、
こんなに怯えているのに、でも、まだ、遠い。
全てが遠い。
忘れた振りをして、一生懸命、なるべくいつもと同じような振りをしている。
私は、私が今、置かれている状況で、生きていくしかないんだ。
誰かが苦しんでいることを、決して忘れてはならないけれど、でも、
私は、私の毎日を送らなければならないんだ。
泣いて立ち止まることは許されない。
笑顔で歩き出すことを許されたのだから。
どうか、どうか、少しでも、全ての人の苦しみが、減りますように。
どうか、少しでも早く、苦しみが減りますように。
どうか、どうか、もう、命を懸ける羽目になる人が、いませんように。
どうか、どうか、誰かの大切な誰か、が、これ以上、苦しみませんように。